加齢による口腔機能の衰えは必ず誰にでも訪れます。
ところが、認知症の方においてはその衰えは加速度的に進みます。介護度が上昇するにつれて口腔機能の衰えも進むと思われますが、認知症の患者様については介護の中でも口腔については放置されているケースが多いようです。
それは本人の訴えが明確でないことも原因かもしれません。介護の場において口腔機能が置き去りにされてしまっていることも原因の一つだと考えられます。加療するにしても動いたり手が出たりで危ない、ということも原因でしょう。それを理由に口腔清掃を行っていない病棟もあるようです。
右の写真は認知症の方の入れ歯の写真です。
上の写真は、半年間一度も外さずに装着したままだった方の下の入れ歯です。信じがたいことなのですが、痛がって外せない、と半年間も放置されていたのです(診療室で簡単にはずすことができました)。
下の写真も別の方の下の入れ歯の内側を撮ったものです。
いずれも前歯にあたる部分に黄白色のものが付着していますが、これはプラーク(歯垢)が積み重なり、すでに歯石となって内面に硬く付着しているのです。歯ならまだしも、入れ歯にさえこれだけの歯石が付着してしまうのは大きな問題です。いずれも在宅ではなく、長期入院の方のケースなのです。
病院の中でさえ、認知症の方の口腔の状況は放置されている状態です。衰えたままで放置されると、さらに衰えてしまいます。
以前は義歯を装着していたが、合わなくなったので外している方が多数いらっしゃいます。もしくは病棟スタッフの判断ではずしておき、そのまま放置されるケースも多々あります。せっかく義歯に慣れて食事もしていたのに、合わなくなったとのことでそのまま2度と装着しないのは非常にもったいないことです。
義歯と聞けば高齢者の方を連想させると思いますが、義歯には重要な役割があります。
1.咀嚼能力の維持
2.咀嚼能向上による嚥下能の維持
3.咬合の高さの維持
4.舌、頬粘膜との均衡を保つ
5.顎関節の機能維持
6.咀嚼筋群の機能維持
7.審美性、発音機能の維持、etc・・・
ざっと挙げても義歯にはいろいろな役割があります。
図1
図2
認知症の老人において義歯製作は困難を極めることが多々あります。皆さんが知っておかなければならないのは、訴えが明確ではないということ、義歯は摩耗すると言うこと、老人においては顎の骨の形態や、粘膜の形態が変化するということです。
そのため、製作自体も難航することがあり、うまくできあがっても製作後は頻繁に調整が必要で、安定した後も定期的な調整が必要となります。家族の方で、新しく作って1年経っていないのに痛みが出てきた、と疑問に思う方もいらっしゃるかもしれませんが、それはごく普通の現象です。歯の位置や粘膜、骨の形態は簡単に変わります。
合わないからと義歯を外していると、下顎の位置がかなり上にせり上がった状態となります(図1)。ここで慣れてしまうと、顎の関節や噛むときに用いる筋肉がその状態に慣れてしまい、次に新しく義歯を入れようとしても、慣れるのに非常に困難となります。
また、飲み込む際にも下顎の固定がうまくいかないので、飲み込みが困難な状態となります。
ずっと入歯を入れていなかった方は、口があまり開かなくなる方も多いと思います。これも機能が低下してしまったことによる弊害です。
頬の粘膜と舌は、歯があることによりお互いの均衡を保っていますが、歯がなくなり骨が吸収することにより、いずれも肥大化する傾向があります(図2)。無歯顎の人で舌が大きいのはこのためだと思われます。
歯や歯槽骨が失われると、咀嚼筋の衰え、嚥下能の低下、発音、審美性の低下、顎関節異常など、様々な障害が生じてきます。だからこそ、義歯などによる早期の咬合確立が重要なのです。
認知症の方は明確な訴えを発することができない分、周囲が細かい部分まで配慮しなければなりません。口腔機能については他項で書いている通り、単に食べるだけの機能ではないので、機能向上については患者の生活習慣を向上させる上でも重要となります。
ただし、たとえば口腔内の障害を改善すべく義歯などを装着してみても、難なく装着していけるのは経験上100%の方がそうであるとは限りません。特に、認知症の状態になる以前にも、欠損がありながら義歯を装着したことがなかった方は、認知症が進んだ状態から義歯を装着するのには激しい抵抗を示すことがあります。
適切な咬合を保つのは人間の生活にとって非常に重要なことであるので、義歯に抵抗があろうともなるべく義歯に慣れることが重要だと思います。義歯に慣れていなかった方が認知症になった段階で義歯に慣れる確立は非常に低いと思います。そうなると、機能の廃用がさらに進んでいくだけなので、だからこそ早期対応が必要になります。
私の診療室では、認知症の方に義歯を製作する際には、まず家族の方へ可能な限り起こりうる可能性を説明します。特に、家族の方の希望で義歯を製作する場合には尚更です。そして、義歯について過大な期待は避けることをお話しています。
うまく装着できて、少しでも口腔機能が向上するのであればそれがベストですが、全てがうまく運ぶとは限りません。経験上「すんなりと慣れる」「全く慣れない」の両極端の方が多いと感じています。
認知症の方の歯科治療は、「どこまでやるのか?」という疑問が湧いてくると思いますが、私は「ここまでならできるはず!」という考えの下に行っています。やらなければ、それこそゼロかマイナスです。やれば、ゼロかマイナスに加え、プラスになる可能性もあります。
家族の方から要望があって診療室へ紹介がある場合は、逆に私の立場は非常に助かります。というのも、私の立場からは口腔機能障害を持つ方がどれくらい病棟におられるのかわからないからです。一番わかるのはベッドサイドのスタッフの方だと思うのですが、残念ながら口腔機能を理解しているスタッフはおそらくまだごく一部で、歯科へ紹介するのも急性症状があったときや、患者様からの申し出があったときだけです。現状では家族の方が気付いたときに歯科受診を希望していただければ口腔機能障害を顕在化できている状態です。
口腔に関して少しでも気になることがあれば、お気軽に歯科までご相談いただければ幸いです。
アルツハイマー病では後期、脳血管性認知症おいてはいずれの期間でも摂食・嚥下障害が生じる可能性があると言われています(当院HPも参照)。もはや認知症における合併症であると認識してもいい程であり、それに対応したリハビリ・食事の対応、口腔清掃が必要となります。
摂食・嚥下障害に伴う疾患としては、他の項でも述べてある「誤嚥性肺炎」が挙げられます。これは嚥下機能の低下に伴う肺炎なのですが、不顕性誤嚥(微小な誤嚥)、舌や咽頭、喉頭の機能障害による明確な誤嚥、胃内容物の逆流による誤嚥などが原因となります。
不顕性誤嚥については認知症の有無に関わらず多くの高齢者の方に生じているのではないかと考えています。尚更認知症の方では生じやすいと考えると、原因である歯肉や舌、咽頭に付着している肺炎原因菌の除去は、誤嚥性肺炎の予防に大きく寄与するはずです。これはこれまでに発表された文献からも明らかです(口腔ケアの項を参照)。
「この方には自立してもらうためにも自分でやってもらってます」
「この方は自分でできるのでやってもらってます」
看護師さんや介護士さんに患者様の歯磨きや義歯清掃などについて尋ねると、だいたいこんな答えが返ってきます。
「自立」とは、単に行いを為すことではありません。目的を理解し、理想的な結果を伴う行いを為すことが「自立」です。老健施設の介護士さんでも、病棟の看護師さんでも、「自立」の意味をはき違えている方を多く見かけます。
「自立」と「全介助」のみの2つの選択肢にのみ分別してしまうのは非常に危険であり、「やっている」ことと「できている」ことは大きく違います。
例えば、自立を促すために本人に歯磨きをさせても、手を動かすこと、口腔を刺激することといった面では評価されると思いますが、汚れが取れていないのであれば評価は著しく下がるでしょう。本人に行いを為すことを促しても、部分的な介助や効果判定、評価など、必ず介護者のバックアップが必要で、そこで初めて好ましい結果が得られると思います。
食事を摂ること、食後に歯を磨くこと、義歯を洗うこと。「自立」の建前のもとに放置されている方々を今までも多数見ました。ほとんどが結果を伴わない「偽の自立」でした。できれば自立と全介助の両極端にするのではなく、必ず何らかのバックアップを忘れないようにしてください。
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